2026年9月24日木曜日

わざと入れるノイズ — ロー・ファイが欠点をジャンルに変えるまで

作業しながらYouTubeでロー・ファイの配信を流している人は多いと思います。静かなピアノ、鈍いドラム、そしてずっと敷かれているジリジリしたノイズ。

そのノイズをひとつずつ分解してみると妙なことに気づきます。レコード盤の傷の音、テープのサーというノイズ、つぶれた高音、揺れるピッチ。エンジニアが何十年も消そうとしてきたものばかりなんですね。それがいまはジャンルの看板になっている。

① もとは悪口でした 🗣️

ロー・ファイ(Lo-Fi)はLow Fidelityの略。忠実度が低いという意味です。

反対語のハイ・ファイ(Hi-Fi)のほうが先に広まりました。20世紀半ばのオーディオ業界が「原音にどれだけ忠実に再生できるか」を売るときに使った言葉です。ノイズが少なく、帯域が広く、歪みがないのが良いものだった。

ということはロー・ファイは、その基準に届かない音を指す言葉でした。安い機材、良くない録音環境、カセットで落としたコピー。褒め言葉ではなかったわけです。

この言葉がひっくり返るまでにはいくつか段階があります。その過程を追う前に、ひっくり返った対象が具体的に何なのかを並べておきます。

② 中身を分解すると 🔍

ロー・ファイと呼ばれる音には、だいたいこういうものが混ざっています。全部もとは直すべき問題でした。

🔹 ヴァイナルのクラックル — レコード盤の表面のホコリや傷が針に当たって出るパチパチ音

🔹 テープヒス — 磁気テープそのものが出すサーという底ノイズ。ダビングを重ねるほど大きくなります

🔹 ワウ・フラッター — テープやターンテーブルの回転がわずかに一定でないせいでピッチが揺れること

🔹 狭くなった帯域 — 高域と低域が削られて中域だけ残った状態。ラジオや古いスピーカーみたいな、こもった音になります

🔹 ビット低減と低サンプルレート — こちらはデジタル側の話。情報量を減らすと音が粗くなって縁が汚くなります

🔹 軽いクリッピングとサチュレーション — 信号を強く突っ込んだときに出る歪み

🔹 崩れたタイミング — 拍がぴったり合っていないこと。これは機材ではなく演奏の問題ですが、ロー・ファイではむしろ核心です

並べてみると全部欠陥です。ところが、これを集めた音楽を人は何時間も流しっぱなしにしている。

③ 欠点なのに、なぜ心地よいのか 🧠

いくつかの理由が重なっています。

🔹 慣れた音だから — カセット、ラジオ、古いレコードは多くの人にとって子どもの頃の音です。直接経験していない世代にも、映画やゲームを通して「昔」の記号として学習されています

🔹 人が触った印だから — 完璧に揃った音は機械が作ったように聞こえます。揺れていて汚い音には、誰かが手を入れた痕跡が残る

🔹 注意を引かないから — 実用面ではこれがいちばん大きい。高域が刺さってダイナミクスの大きい音楽は、しょっちゅう耳を持っていかれます。逆に高域が抑えられて音量が平らな音楽は背景に流れていく。勉強や仕事をしながら流すのに向いている理由です

🔹 耳が疲れにくいから — 高域が減ると長時間聴いても疲れが少ない。何時間も流しておく用途と噛み合います

📌 まとめると

ロー・ファイは「低品質」ではなく、注意を引かない方向に整えた品質です。目的が違うんですね。

④ 日本には先に「作業用BGM」があった 🇯🇵

ここで日本の事情をひとつ挟みます。

海外でロー・ファイの24時間配信が定着したのは2010年代後半ですが、日本にはそれより前から「作業用BGM」というカテゴリがありました。2000年代後半にはニコニコ動画でタグとして定着していて、長尺の音楽動画を流しっぱなしにする文化が先にできていたわけです。

面白いのは、この二つが同じ発想にたどり着いていることです。曲を一曲ずつ選んで聴くのではなく、作業という状況に合う音をまとめて流しておく。主役は音楽ではなく、その時間のほうにある。

もうひとつ、日本の宅録文化もここに絡みます。1980年代のインディーズはカセットテープでの自主制作が中心で、音質は当然良くありませんでした。ただその「良くなさ」が、メジャーの音との距離感そのものとして受け取られていた面もあります。ロー・ファイが単なる劣化ではなく態度として読まれる土壌は、わりと昔からあったわけですね。

聴く側の土壌の話はここまでにして、作る側に戻ります。欠点を欠点でない使い方で鳴らした人が先にいました。

⑤ ズレをグルーヴに変えた人 🥁

外せない名前が J Dilla です。

彼についていちばんよく語られるのがクオンタイズを使わなかったこと。サンプラーでドラムを叩くとき、グリッドに合わせて整えず、手で叩いたままにしていた。だからキックとスネアとハイハットが微妙にズレます。人はこれを「酔っぱらったドラム」と呼びました。

大事なのは、これが失敗ではなかったという点です。ズレる方向と量を制御していた。ハイハットは前へ、スネアは後ろへ、という具合に一定のクセがあります。そのズレが曲全体を押したり引いたりする感じを作る。

そこに古いジャズやソウルのレコードをサンプルとして使いながら、盤のノイズを消さなかった。 ピッチを下げて使えばノイズも一緒に下がって、より太くなります。この組み合わせが、のちにロー・ファイ・ヒップホップと呼ばれるものの原型になりました。

▶ J Dilla — Last Donut of the Night

2006年のアルバム「Donuts」に入っている曲です。このアルバムは彼が病床で作業し、亡くなる直前に出ました。

Dillaがリズムの側から扉を開けたとすれば、いま僕らが思い浮かべるロー・ファイの空気はもう一本の軸から来ています。

⑥ もう一本の軸は日本から 🎌

その軸が Nujabes です。

Dillaの影響を受けながら、方向は少し違いました。ジャズピアノや弦のサンプルを多く使い、音がもっとやわらかくて叙情的です。ヒップホップの荒い面より、雰囲気を優先した側ですね。

この人が決定的だったのは音楽だけでなく文脈のせいでもあります。彼の音楽がアニメーション作品と結びついたことで、ロー・ファイ特有の視覚イメージ — 窓辺で何かをしている人物、雨、夜の街 — が一緒に定着しました。いまのロー・ファイ系チャンネルのサムネイルがだいたいあの系統なのは偶然ではありません。

日本から出たものが海外で「ロー・ファイ」という名前でまとめ直されて、また日本に戻ってきた。そういう往復があった分野でもあります。

Nujabesは2010年に亡くなりました。

▶ Nujabes — Feather

⑦ 24時間配信がジャンルを固めた 📺

ここまでは「こういう音楽を作る人たちがいる」という段階でした。ひとつのジャンルとして固まるのはYouTubeのおかげです。

2013年にYouTubeがライブ配信を開放したことで、24時間音楽を流し続けるチャンネルが生まれはじめます。そして2015年から2017年ごろにかけて、ロー・ファイのビートを24時間流してアニメ調の映像を貼っておくチャンネルが定着しました。いまは Lofi Girl という名前で知られているチャンネルが代表格です。

この形式が効いた理由があります。

🔹 終わりがないので選ばなくていい — 曲を選ぶ行為そのものが邪魔なので。流して忘れればいい

🔹 画面が止まっていない — ループするアニメーションが背景で動いていて、空間の感じが出ます

🔹 集まって聴いている感じがある — ライブチャットに「試験まであと3日」みたいなことが書かれる。ひとりでやる作業を一緒にやっている気分になれます

音楽ではなく状況を売ったわけです。そしてその状況に合う音が、ちょうどロー・ファイでした。

▶ Lofi Girl — 1 A.M Study Session

⑧ ところがそのノイズ、本物ではありません 🤖

ここで話が一周します。

いまのロー・ファイのトラックに入っているクラックルは、ほとんどが実際のレコードから来たものではありません。 プラグインやサンプルであとから足したものです。テープの揺れも同じ。本物のカセットに録り直しているわけではなく、そう聞こえるように計算して作っています。

つまりいまのロー・ファイは欠点を精密に再現したものです。ノイズの量をdB単位で調整し、どの帯域をどれだけ削るか決め、ピッチの揺れの速さと深さを数値で合わせる。完全に制御された不完全さですね。

これを偽物だと責める話ではないと思っています。音楽で大事なのはどう聞こえるかであって、どういう経路で作られたかではないので。ただ意図的な選択だと分かって使うことと、分からないままプリセットを乗せるのとでは結果が変わります。

その差が実際どこで出るのかを、作業の順番に置き換えるとこうなります。

⑨ 自分の曲に使うとき ✅

1. まずノイズなしで曲を完成させます。 ノイズで覆うとアレンジの穴が見えません。あとで外したときに物足りないなら、そのノイズが曲を支えていた証拠です
2. クラックルは思っているより小さく。 オン・オフして「あったっけ?」くらいがだいたい適量。気づくほど出ていたらもう過剰です
3. 高域は削るが、全部は削らない。 12〜15kHzより上をなだらかに落とすところから。8kHzから切ると、ただこもるだけになります
4. ピッチの揺れはごく浅く。 深く掛けると壊れた音になります。あるかどうか分からない程度がちょうどいい
5. タイミングは手で前後に振る。 プリセットのスウィングだけだと、いかにも打ち込みのスウィングになります。ハイハットは少し前、スネアは少し後ろ、とパートごとに方向を決めて動かしてみてください
6. 最後に全体をモノラルで聴きます。 ノイズ系はステレオに広く配置されていることが多く、モノラルにまとめると急に大きくなることがあります

まとめ

最初に「妙だ」と書いたあのジリジリしたノイズは、結局基準がひっくり返った場所に残っているものです。消すべきものとして分類されていた音が、その音が作る状態のほうを理由にして選び直された。

ここから持ち帰るものがあるとすれば、これだと思います。きれいな音が常に良い音とはかぎらないということ。曲がどんな状態を作るべきかが先にあって、その状態に必要なら汚いほうが正解でもあるということ。

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