ヘッドホンで聴くと広くて気持ちいいのに、スマホのスピーカーで鳴らすと何かが抜けている。シンセのパッドが薄くなり、ギターが半分消えて、曲によってはボーカルまで遠くなる。逆に、ヘッドホンで聴いてもただ真ん中に固まっているミックスもあります。全部聞こえるのに、息苦しい。
どちらも同じ問題の裏と表です。左右の広がりをどう作ったか、そしてその広がりがモノラルにまとめられたときどうなるか。これを扱うのがステレオイメージングで、その道具がミッド/サイドです。
① ステレオは「差」から生まれます 🎧
ステレオはスピーカーが二つあるから生まれるのではありません。左と右が違うときに生まれます。二つのチャンネルに完全に同じ音が入っていれば、スピーカーが二つでも真ん中の一点から鳴っているように聞こえる。差が大きくなるほど音は横に広がります。
だからステレオを左と右で見る代わりに、同じ部分と違う部分に分けて見ることができます。この発想は1931年にアラン・ブルムラインが英国特許として出したものです。二本のマイクの信号を足したものと引いたものに分けて扱う方法が、その特許の中にすでに入っていました。いまのDAWのミッド/サイドプラグインは、その90年以上前のアイデアをそのまま使っています。
② ミッドとサイド — 足し算と引き算 ➕➖
計算は単純です。
・ミッド = (左 + 右) — 両方に共通して入っているもの。真ん中の音
・サイド = (左 − 右) — 両方で違っているぶん。横に広がった音
逆に戻すこともできます。ミッドにサイドを足せば左、引けば右が出てくる。つまりL/RとM/Sは同じ情報を別の角度から見たものであって、何かを足したり失ったりするわけではありません。
ここで、この記事でいちばん大事なルールが出てきます。モノラルにまとめるとサイドは消えます。 左と右を足すのがモノラルですが、サイドはその二つの差なので、足した瞬間に0になる。ヘッドホンで広く聞こえていたものがスマホのスピーカーで消えた理由は、まさにこれです。その音はサイドにしか住んでいなかった。
逆にミッドにあるものはモノラルでもそのまま残ります。ボーカル、キック、ベース、スネアのように曲の骨組みになるものを真ん中に置く理由がここにあります。どこで鳴らしても消えないからです。
③ 自分のミックスがどのあたりか測る 📏
勘でやらず、二つの方法で確認します。
🔹 モノボタン — いちばん確実です。マスターにモノスイッチを置いて、しょっちゅう押してみてください。何が小さくなり、何が消えるかがすぐ聞こえます。たいていのDAWのマスターチャンネルか、ユーティリティ系プラグインに付いています。
🔹 コリレーションメーター — 左と右がどれだけ似ているかを −1 から +1 の間で示す道具です。
・+1 — 完全に同じ。モノラル
・0 — 互いに無関係。とても広いが、モノにまとめると3dBほど落ちる
・−1 — 完全に逆。モノにまとめると消える
曲全体はだいたい +0.3 から +0.7 の間に収まっていれば安全です。一瞬0の近くまで下がるのは構いませんが、ずっと0を下回っているとモノで問題が出ます。マイナスによく落ちる区間があるなら、そこに位相の問題があるサインです。
ベクトルスコープという画面もあって、縦に細長ければモノに近く、横に広がっていれば広い。コリレーションメーターを絵にしたものなので、どちらか一方を見ればいいです。
④ 低域は真ん中に置きます 🔻
広がりは帯域ごとに扱いを変える必要があります。原則は低いほど真ん中、高いほど広くです。
低域を真ん中に置く理由は、もともとヴァイナルにありました。左右で違う低音は針を上下に大きく振って飛ばしてしまったんです。だからカッティングエンジニアが低域のサイドを削り落とし、それが慣習になりました。
いまはヴァイナルでなくても同じ理由が残っています。サブウーファーは一つなのでその帯域はどのみちモノで出るし、小さなスピーカーで左右が違う低い音は互いに打ち消し合って力が抜けるし、クラブのシステムもその下はモノでまとめる。広がった低域は得るものがなく、失うものだけがあります。
実務の目安はこのくらいです。100〜150Hz以下はサイドを空ける。 ミッド/サイドEQでサイドチャンネルだけにハイパスをかければ済みます。こうすると低域が固まり、不思議なことに上のほうがより広く感じられる。低域が真ん中にぴたりと居るぶん、相対的にそうなるわけです。
高域は逆です。ハイハット、空気感、リバーブの尾、パッドのきらめき。こういうものは広くても失うものがほとんどなく、広いほど気持ちいい。
⑤ 広げる方法 — 安全なものから 🔀
広がりが足りないときに使える方法を、安全な順に書きます。
🔹 一つ目 — 本当に二回録る。 ギターでもコーラスでも、同じパートを二回演奏して片方を左、片方を右に置く。二つのテイクが微妙に違うので自然な差が生まれ、モノにまとめても消えません。時間はかかりますが結果がいちばん良い。
🔹 二つ目 — パンを使う。 楽器ごとに場所を決めて左右に配置する。いちばん基本で、いちばん安全です。狭く感じるミックスはパンを使っていないというより、全部を少しだけ振ってあるだけの場合が多い。いくつかは思い切って端まで振ってみてください。
🔹 三つ目 — サイドの高域だけ上げる。 ミッド/サイドEQでサイドチャンネルの5kHz以上を1〜2dB上げると、広がった感じが出ます。モノ互換性への影響が小さいので、マスターバスでも使えます。ただし2dBを超えると真ん中が空き始めるので注意。
🔹 四つ目 — ハースディレイは慎重に。 片方のチャンネルを10〜30ミリ秒遅らせると、音がぐっと横に広がります。1949年にヘルムート・ハースが博士論文でまとめた現象で、この程度の遅れだと耳は二つの音として聞かず、先に届いたほうに位置を置く。効果は強力なのですが、モノにまとめるとコムフィルターがかかって音が薄くなり、特定の帯域が抜けます。 個別トラックに少し使うぶんには構いませんが、マスターや大事なパートには使わないでください。
🔹 五つ目 — ステレオワイドナープラグイン。 楽ですが、多くが上で書いたハースや位相の操作で動いています。かける前と後を必ずモノで比べてください。モノで逆に小さくなるなら、そのワイドナーはそのトラックに合っていません。
⑥ ミッド/サイドで整える実践手順 🛠️
ミッド/サイド処理ができるEQかコンプレッサーを一つ開いて、この順番で進めます。
1. サイドにハイパス120Hz。 低域を真ん中に集めます
2. ミッドでボーカルの居場所を確認。 ボーカルがサイドに漏れているなら、リバーブかダブリングが広すぎます。そちらを減らします
3. サイドの高域を少しだけ。 5kHz以上を+1dBほど。空気感が横に広がります
4. ミッドの2〜4kHzを確認。 ここが混み合っているとボーカルとギターがぶつかる場所なので、ギターをサイドに逃がすかパンを広げます
5. モノで確認。 最初と比べて何が消えたかを聴きます
マスタリングではミッドとサイドに別々のコンプレッサーをかけることもあります。ミッドだけ軽く押さえてボーカルとキックを安定させ、サイドは触らずに広がりを残す、というやり方です。ただしこれはミックスがすでにできているときに乗せる最後の仕上げであって、狭いミックスを広くする道具ではありません。
⑦ よくある失敗 ⚠️
🔹 全部を広げる。 すべてのトラックが広いと真ん中が空いて、曲が不安定に聞こえます。広さは対比から生まれる。真ん中が固いからこそ横が広く感じられます。
🔹 マスターにワイドナーをかける。 曲全体を一度に広げると低域まで一緒に広がって、モノで崩れます。広げるならトラック単位で、しかも高域中心に。
🔹 モノを押してみない。 スマホのスピーカー、Bluetoothスピーカー一台、店の天井スピーカー、インスタのリール。いま音楽が鳴っている場所のかなりの部分がモノか、モノに近い環境です。ヘッドホンでしか確認しないと、その環境をまるごと見落とします。
🔹 コリレーションがマイナスなのにそのままにする。 一瞬なら構いませんが、ずっとマイナスならどこかで位相が反転しています。二本のマイクで録ったソースや、位相を使ったエフェクトをまず疑ってください。
🔹 サイドだけ上げてミッドを見ない。 サイドを上げて広くなったと思っても、実はミッドが相対的に小さくなっただけ、という場合が多い。広がりではなくバランスが変わっただけです。
⑧ Q&A 💬
Q. ミッド/サイド処理はどの段階でやりますか?
A. ミックスの最後かマスタリングでやります。個別トラックのパンとダブリングで先に広がりを作り、その結果をミッド/サイドで整える順番です。最初からM/Sプラグインで広げようとすると、たいてい位相の問題しか生まれません。
Q. 低域をモノにすると息苦しくなりませんか?
A. 逆です。低域が真ん中に集まると上のほうが相対的に広く感じられて、曲全体がむしろ開いて聞こえます。息苦しくなるとしたら低域ではなく中低域(150〜300Hz)まで一緒に集めているせいなので、境目を少し下げてみてください。
Q. コリレーションメーターがない場合は?
A. 無料のプラグインがあります。iZotopeのOzone Imagerは無料で、ベクトルスコープと幅の調整が一緒に入っています。Voxengo MSEDも無料で、M/Sエンコードとミッド・サイドそれぞれのゲイン調整、コリレーションメーターまで付いている。この二つがあれば、この記事で扱ったことは全部できるはずです。
🛒 iZotope Ozone Imager — メーカー公式ページ(無料、国内代理店の取り扱いはありません)
🛒 Voxengo MSED — メーカー公式配布ページ(無料)
Q. ボーカルのダブリングを左右に振るとモノでどうなりますか?
A. 二つのテイクが本当に別の録音なら、モノでも生き残ります。問題は一つのテイクをコピーして片方だけ数ミリ秒遅らせた偽のダブリングです。これはハースディレイと同じ原理なので、モノでコムフィルターがかかります。
Q. ヘッドホンとスピーカーで広がりが違って聞こえるのですが、どちらを信じればいいですか?
A. ヘッドホンは広がりを誇張して聞かせ、スピーカーは部屋の影響を受けます。どちらも完全ではないので両方確認しつつ、最後の判断はモノボタンでしてください。モノで崩れなければ、どの環境でも大きく外れません。
⑨ 今日やること ✍️
いま作っている曲を開いて、15分あれば足ります。
1. マスターにコリレーションメーターを一つ挿します。なければOzone Imager(無料)を落としてください
2. 曲を頭から流して、メーターが0を下回る区間がないか見ます。あればその区間でどのトラックがそうなっているか、ソロで探します
3. マスターにM/S EQを挿して、サイドチャンネルにハイパス120Hzを入れます
4. モノボタンを押したまま曲を一度聴きます。消える楽器を書き出します
5. 消えた楽器の中に大事なものがあれば、パンを少し真ん中に寄せるか、ダブリングをやめて本当に二回録ったものに差し替えます
6. モノを解除して、最初と比べます
これだけでも、どこで鳴らしても崩れないミックスになります。広げるのはそのあとです。
まとめ
広いミックスはサイドを大きくして作るのではなく、真ん中を固めて作ります。キックとベースとボーカルが真ん中にぴたりと居れば、その横に置いたものは少し振っただけで広く聞こえる。
そして広がりはヘッドホンではなくモノボタンで確認します。モノで生き残る広がりだけが本当の広がりです。残りはヘッドホンの中にしか存在しない広がりです。
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